「壮絶な経験」をしてきたやつを高く評価する風潮wwww


「とりあえず壮絶な経験してきたやつ優秀」みたいな風潮あるじゃないですか。


僕はこれまで特に何の大きな苦労もしてきませんでした。強いて言うなら、小学生の頃、父親が事業に失敗して多額の借金をこさえたことですが、会社経営者である母方の祖父から大部分の生活費を援助してもらえたので、僕自身は何不自由なく、高校、大学へと進学できました。つまり、ほぼノーダメージ。


今でこそ、無難に生きれて幸せなことだったと思えるのですが、学生時代の僕はこれを逆にコンプレックスに感じていました。なぜなら、一般的に「苦労を乗り越えてきたやつほどエネルギー値が高い」みたいな認識があって、「家庭に重大な問題があったやつ」とかが就活でバンバン内定取っていくから。


いや別に、「家庭に重大な問題がある」ことを羨ましいとまで思わないよ。彼らがそれでも腐らずここまで頑張ってきたことは純粋に尊敬する。だけど、そのような個人の特別なバックグラウンドが優先的に評価されるんだったら、「コネ入社」みたいなもんじゃないですか。昔は、不平等だなーと思ってた。


今日は、「人に誇れるような苦労」をしてこなかった僕が、この苦労主義的社会のあり方に疑問を投げかけてみようと思います。


「若い時の苦労は買ってでもしろ」について

社会は「苦労を乗り越えてきたやつ」を評価します。なぜなら、一般的に社会とは苦労を強いられるものだから。やりたくないことも時にはやらなくてはいけないのがサラリーマンだから。


というわけで、壮絶な経験をしてきた人とそうでない人がいたら、やっぱり前者が評価されがちなわけです。だって、ストレス耐性高そうですからね。


就活でも何かしらのブレークスルー経験のあるやつが勝つでしょ。つまり、「苦労」は「資格」みたいなものなんですよ。その人を客観的に評価するための一つの「ものさし」なわけで。


「若い時の苦労は買ってでもしろ」というフレーズは、ある意味、資格至上主義的な社会においては正しいんですよ。「社会に出る前に運転免許とっとけ」と同じだから。苦労したという既成事実さえつくっとけば、サラリーマンとしては結構立ち回れちゃうしね。

「苦労しない人」はどうするのかについて

ところが、僕は自分がやりたいと思うことしかやらないので、そもそも「苦労」できないんですよね。フットワークが鬼軽いので、苦労する前に離脱しちゃうんですよ。


僕のようなゆとりは、苦労話がないため、いわゆる資格主義的、苦労主義的な社会においては、価値を発揮できません。苦労自慢大会への参加資格なし。ただ一途に、一流企業への就職を目指していた学生時代なんかはこれが結構ジレンマでしたね。苦労はしたくないけど、内定は取りたかったので。


というわけで、苦労未経験者の僕はフリーランスの世界に逃げてきました。フリーランスはサラリーマンと違って、「苦労」ではなく、「実績」でしか評価されないので楽なんです。苦労してる風を演出するのに力を割かなくてOKですからね。



さいごに:ヤりたいからヤる

やりたいことっていうのは、何か高尚な理由がなくともはじめられるものです。最近、嫁がWiiUのピクミンにハマってますが、彼女にピクミンをやる、ていの良い理由なんてないですもん。ただ楽しいからやってるってだけで。


仕事もそうなんですよ。僕がシステム開発や、ブログをやるのに理由とかないです。楽しくて結構お金も稼げるからなだけ。


だけど、企業の人事とかって全ての行動に論理的な動機を求めるの好きでしょ。「なぜ、それをやろうと思ったの?」とか聞くの好きじゃないですか。で、もちろん「ただヤりたかったから」では納得してもらえないわけです。


「ただヤりたいだけ」でしか行動できない人は、組織では必要とされないからなんですよね。組織での仕事にはヤりたくないことの方が多いから。


僕はそういう価値観の世界で生きるのがしんどいなと思ってます。ゆとりだから。


次に読まれている記事

関連記事

ryukku_01 ryukku_01

Menu

HOME

TOP