「魚の釣り方を集めて自分がまずやってみる」コミュニティ論




私塾的コミュニティにおいて、「魚を与えるより魚の釣り方を教えろうんたらかんたら論」ってあるじゃないですか。もちろんこれは教育論の一端であって、ガチの釣り師の格言とかではありません。


ググってみると色んなこと言ってる人がいて面白いんですが、参加者260人規模のオンラインサロン主宰者である僕が何より重要と考えるのは、魚を与えるでもなく、魚の釣り方を教えるでもなく、「魚の釣り方を集めてまず自分でそれをやってみる」ことです。


ただ人目を気にせず好き勝手に魚釣りを楽しむというだけなんですが、今のところ、この考え方が最強のコミュニティ教育論だと思っています。理由は以下。


オンラインコミュニティの変遷

日本でmixiというSNSが席巻し、いわゆる「個人の時代」が幕を開けてもう10年近く経ちます。「これからは個人の時代だ〜」なんて未だに言ってる人いるけど、もうとっくに始まってますよっていう。


というわけで、誰でもその影響力をインターネットを通して拡大し、不特定多数が参加する小〜中規模のコミュニティを生み出せるようになったわけです。


そして、そういったコミュニティでは、常に、個人から個人へスキルの伝達が行われてきました。個人の様々な教育論がインターネット上に噴出し、「理想のコミュニティとは何なのか」が一部で議論されたのです。


ただ、ここ数年間で随分、コミュニティにおける教育のあり方が変わってきました。


「個人の時代」初期:ワクワク重視の時代

まず、7〜8年前の個人の時代黎明期によくあったのは、参加者をとにかくワクワクさせることだけに特化させたコミュニティでした。


実際大したことを学べるわけでも、稼げるわけでもないんだけど、「この人達と一緒にいればお金持ちになれるかも」という期待感を過度に演出することで、組織へのロイヤルティを高めていました。


そもそも、コミュニティに教育という概念があったのかどうかも怪しい。言ってしまえば、古くからネットワークビジネスでやってたようなことをインターネットの世界に持ち込んだ形です。タワマンとか高級車で釣って、夢や希望で囲って、精神論でゴリ押しするアレ。


当時は今より情弱が沢山いたので、このうさんくささの塊みたいなビジネススキームが通用していました。ところが、ソーシャルメディアの拡散力が格段に増す中で、消費者もだんだん賢くなってきて、衰退していったようです。


「個人の時代」中期:ノウハウ重視の時代

そこから、4〜5年前からですかね。ワクワク感だけで中身のないコミュニティのアンチテーゼとして、「ノウハウを重視するコミュニティ」が台頭してきました。


ようやく、消費者も「なんだかんだ言ってても稼げてなきゃ意味なくね?」ということに気づきはじめたわけです。精神論や期待感だけでなく、それも押さえた上で、きちんと「やり方」を教えていける環境が強くなっていきます。


依然としてコミュニティの参加費は数十万円以上と高額だったりしたんですが、それでも確かな知識と切磋琢磨できる環境が手に入るので、詐欺だなんだと文句を言う人はいても、コミットして結果を残す人も増えてきました。


ここらへんから、情報商材のイメージが少しずつ良くなってきたように思います。小玉歩さんみたいなスマートなルックスでギラギラしたいやらしさの抑えられたマーケターが活躍するようになりました。

「個人の時代」後期:イメージ重視の時代

で、ここ2〜3年は、noteやDMMオンラインサロンといったビジネスプラットフォームが登場し、「インターネットで稼ぐ」が大衆化するにつれ、情報商材の単価も下がり、オンラインコミュニティのイメージが格段によくなりました。


ところが、もはや稼ぐための情報はタダ同然で手に入れられるようにもなってしまったので、優秀な人は他人にワクワクさせてもらわなくとも、手取り足取りノウハウを提供してもらわなくとも、勝手にググって勝手に成功できるようになったんですよ。


こうなると、お金を払っても払わなくても、得られる情報の質はさほど変わらないので、コミュニティの価値は平準化し、コモディティ化する羽目になります。ここで再びコミュニティにおける「教育」が形骸化することに。イマココ。


ノウハウの質が担保されている分、人はノウハウの質よりも、教えてくれる人の見た目や価値観が近いかどうかを重視してお金を払うようになりました。要するに、イメージが全てなんですよ。これが評価経済のあり方にも繋がってきます。


また、「ワクワクのさせ方」も随分多様化し、従来の金満政治的なあり方だけでなく、ミニマリズムなど、精神的豊かさの追求などにもフォーカスされるようになってきましたね。


個人の時代に、いかに「個人」を排除していくか。

イメージ重視のコミュニティは、先のワクワクもノウハウも兼ね備えているので、機能はするんですが、人一人の信用度でスケールできるコミュニティの規模には限界があるため、コミュニティの単位が細分化されていく運命にあります。


僕は【25歳〜34歳の「雇用」に関心の高い男性】層にリーチするのは得意です(GA調べ)。しかし、僕が僕の専門性だけを発揮して集客、教育を展開すると、特定の層の人間のみが集まった、多様性のないコミュニティが出来上がります。


これじゃダメなんですよ。たかだか自分が小さな島の裸の大将になれるだけの話だから。ブログサロンとか大体そうなっちゃってるじゃないですか。集客はいずれ頭打ちになって組織は停滞する。


これを回避するためには、どこかのタイミングで「個人の影響力」を「環境全体の影響力」に転化させないといけないんです。個人ではなく、その空間に存在する各人の影響力の総和に価値を持たせるということ。


めちゃくちゃ難しい話ですが、集客できる層の拡大と、運用における自己負担が低減を同時にやるんです。では、具体的にどうすればいいのか。


「魚の釣り方を集めて自分がまずやってみる」

それこそつまり、「魚の釣り方を集めて自分がまずやってみる」しかないのではと考えています。自分自身が次々と新しいゲームに挑戦していくこと。


色んな属性を持った人を一つの場所に集めただけではシナジーなんて発生しないんですよ。新たな価値をコミュニティが作っていくためには、彼らの持つ価値を融合させるだけの文化を作っていかなければならない。


そして、そのためにコミュニティのオーナー自らがまず彼らの知恵を実践してみるんです。オーナーがコミュニティのメンバーに価値提供しながら、自分もいち参加者として価値を提供されること。そして、知識を掛け合わせシナジーを体現する人柱になること。


その姿勢がメンバーに伝播し、主体的に価値の創造をし、最終的にコミュニティがオーナーの手を離れてようやく成功。って、サクッと言ってるけど実際は鬼難しいんですけどね。具体的な手順についてはまたnoteででも話します。


ただ、やっぱりこれしかないと思うんですよ。山本五十六も「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」とか言ってますが、まず「やってみせる」ことを頭に持ってきているのは深いですよ。


やってみせることが何より人を動かすからです。教育において最も重要なのはこれ。むしろ、「言って聞かせて」とか「させてみる」とか要らないです。インターネットの力で不特定多数にリーチすれば勝手に向こうから積極的受信してくれるから。


とにかく自分が動いて、姿勢を示す。それをいかに効率的な手段を用いて発信していくか。


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