やまもとりゅうけんのプロフィール



やまもとりゅうけんのプロフィールです。


生い立ち

山本隆玄 -やまもとりゅうけん-
1987年4月9日生まれ。血液型はB型。どうぶつ占いはオオカミ。名前のモデルは漫画「北斗の拳」の登場人物「リュウケン」より。



ギリギリ、キラキラネームだと思います。


世紀末都市「東大阪」で育つ。

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大阪最凶の危険地帯の一角、「東大阪」に生まれたにも関わらず、全く擦れずに育ちました。


東大阪はヨハネスブルグみたいなところで、一歩外に出ればカツアゲに遭います。友達も買ったばかりのゲームソフトを知らない高校生のお兄ちゃんによく横取りされてました。


そして、小学校の同級生の3分の1くらいは金髪。たまに青とか紫とか。あと、男の子は後ろ髪が長い。タバコは吸うし、万引きは日課。彼らの両親を一言で形容するなら、「ウシジマくんの登場人物」。


「こんな環境に染まってやるものか」と思いながら、成績は常に上位をキープし、いじめられないよう不良少年達とも適度にコミュニケーションを取りながら幼少時代を過ごしました。我ながら、上手く生き抜いたと思います。


父親の借金と交通事故。

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父親が事業に失敗して極貧生活を味わったり、家族旅行中に一家で対向車線のトラックとの衝突事故に遭って死の淵をさまよう(無事、全員生還)など、ネガティブなビッグイベントが続きました。


しかし、個人的には「話のネタになってラッキー」くらいの感覚だったのが不思議。それからは、「どんな大変な事があっても死にはしないだろう」という漠然とした自信が身につき、あらゆるものへのマインドブロックがなくなったように思います。


今、僕がフットワーク軽く、次々と新しいことに挑戦していけるのは、この幼少期の人格形成によるものが大きいと思っています。でも、なにか失ってはいけないものも失ったような気がする。わからんけど。


普通すぎて悶々としていた中学、高校時代。

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中学、高校時代は部活でサッカーに打ち込み、1年の浪人生活ののち、神戸大学経営学部経営学科に入学。いたって普通の青春を過ごしました。


本来、「普通でいること」がたまらなく嫌いなんですが、普通にみんながやってる事以外に夢中になれるものが見つけられなかったので、すごく悶々としていたのを覚えています。今自分が高校生だったらユーチューバーやってると思う。


ちなみに、実家にはまだ借金があったため、大学進学のための費用は全て、会社経営をしている祖父に援助してもらいました。祖父の財力がなければ今の自分はありません。この頃から、資本主義国家ニッポンにおいて、「金は正義だ」と思うようになります。


僕が当時感じられていた「幸せ」は、祖父に保障された最低限度の生活の上で成り立っていたから。


就職後、社会の現実を知る。

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「何か普通ではないことをやらなければならない」と思いすぎていた僕は、大学生になると意識高い系になってました。学生団体とかいくつも入ってましたよね。


就職活動は、神戸ビジネスケースコンペティション2008での優勝経験をネタに、当時リーマンショック直後の大就職氷河期にも関わらず、無双。


まず「手に職」を得ておこうということで、某大手IT企業のプログラマーを志望しました。無事内定を獲得し、「貧乏だった僕もこれで上流階級の仲間入り」とか勘違いします。


ところが、就職後、新卒の収入のあまりの低さに衝撃を受けることに。月の手取りは17万4千円で、週に4回以上は飲み会。もはや生きてるだけで破産寸前。


とはいえ、大企業。勤め続ければきっと、豊かな生活が待ってるはずだという希望を持っていましたが、ある飲み会で、10年目の先輩の給料とライフスタイルの圧倒的窮屈さを知り絶望することに。自分の理想の未来は今の自分の延長線上にはないんだということを理解しました。


会社に頼ってても仕方がないので、副業に全力集中した結果、数ヶ月後人事部にバレて呼び出しをくらうことに。「副業続けるか、本業続けるかどっちにするんだ?」と問われました。


本来、副業禁止という就業規則に法的強制力はないので、ゴリ押しで会社に居座ることもできましたが、どうせ辞めようと思っていた会社、決断は早い方が良いということで、退社(という名の実質クビ)を決断。入社から11ヶ月目のことでした。ちなみに同期で一番最初に辞めた。


それからは、節約のために、タダ飯奢ってもらいまくったり、ワンルームマンションに謎の板前のお兄さんと二人で住んでみたり、ゴミのような生活を経験。それでも実家に戻って親元で面倒みてもらうというのだけは、プライドが許しませんでした。


ネットワークビジネスで人生の機微を知る。



当時の僕はネットワークビジネスを必死で頑張っていました。他にもっと効率的に稼げて人の役に立てるビジネスがあることを知らなかったのです。


情弱であるばかりに、最も難易度の高いスモールビジネスをいきなりチョイスしてしまった僕は、達成のために沢山の借金をすることになります。とにかく盲目的にやっていました。


正直、今となってはネットワークビジネスはおすすめできません。周囲に反対されてすぐに意気消沈する組織のメンバーのモチベーションを管理しつつ、自分がどんどん新しい人材を開拓していかないといけないから。成功するためにはとんでもない労力をかける必要があります。しょっちゅう人から裏切られるしね。


実は、このビジネスが破綻していることには途中で気づいてたのですが、「何も結果を残さないまま終わるのは死ぬより辛い」と考えていた僕は、最低限の目標(年収300万円程度)を設定し、無理やり達成しました。それからはこのビジネスからは手を引き、ブログなどに収入源を分散させるようになります。


結果、メンタルの強さと営業力は身につき、相当骨太になれたので、まあやって良かったのかなとは思っています。


人生逃げ切ることを決意。

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その後、フリーランスエンジニアに転身し、次々と収入源を多角化。アフィリエイト、FX、せどり、ビットコインと、何でも飛びついて、何でも結果が出る状態に。最大400万円あった借金も完済。いやもう、アホほど試行錯誤しました。


今の自分が持てるリソースを活かし、緻密な戦略を立て、最小限の労力で最大限の結果を出す方法を追求してきた結果、食いっぱぐれない程度のマーケティングスキルは身についたかと思います。


そして、現在、「人生逃げ切る」という意識の低い目標に向かって意識高く取り組むコミュニティ「りゅうけんの人生逃げ切りサロン」を運営。サロン内に集積されたノウハウを実践し、ゲームを楽しむかのようにビジネスに取り組んでいます。


りゅうけんのブログへの想い



情報発信は「自分が出会いたい人に自分を見つけてもらう行為」だと思っています。


自分と近い価値観を持っているけど、自分とは全く違う体験をしてきていて、多くの気づきを与えてくれるような存在。そんな人達と出会えるチャンスがブログにはあるのではないかと。


ブログはインバウンドマーケティング事業として見た時、可能性に満ち溢れたものだと感じています。ブログに投稿した過去の体験談が検索で読まれる度に、勝手に誰かの役に立って、勝手に僕の価値が増えていくんですよ。これはとても素晴らしいことです。


営業、勧誘など、アウトバウンド型のビジネスは全て焼畑農業です。どれだけうまくやったところで、必ずどこかで誰かを不快な思いにさせるし、それでもしモノが売れたところでその時限りの収入を得るだけです。いつか終わりがくる儚い商売。


だけど、ブログという媒体を通して自分が提供できる価値を社会に発信していくことで、永続的なビジネスを生み出せる可能性があります。


ブログの収益性はその他スモールビジネスと比較しても特別高いわけではありませんが、個人メディアにおけるセルフブランディングを追求することで、その他ビジネスにおいても汎用性の高い価値を生むことができると考えています。


こんなに美味しい話、なかなかないので、みんなやればいいと思うんですけどね。


りゅうけんの妻への想い。

最後に、我が家の最高意思決定機関である妻へ一言。


もうごはん食べる時にブログ書きません。もうブログで夜更かししません。ブログで稼いだお金はあなたのために使います。


だから、これからもブログ書かせてくださいお願いします。

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一生ついていきます。


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