【やまもとりゅうけんのプロフィール】借金地獄から這い上がり日本最大級のオンラインサロンを立ち上げて人生を逃げ切るまでの物語

はじめまして、やまもとりゅうけんです。

当ブログや各種SNSを見て「やまもとりゅうけんって誰?」と思われた方に向けて、僕のことをもっと知ってもらいたくこの記事を書きました。

僕は現在、会員数5,000人を超える規模・実績共にNo.1のビジネスオンラインサロン人生逃げ切りサロンを運営しています。

そのほかの僕の実績は以下の通り。

僕の実績

やまもとりゅうけん/現代ニッポン最強ジョブ「エンジニア」で人生逃げ切る方法

  • 2019年6月15日Stock Sun株式会社イベント登壇

第2回フリーランスサミット~フリーランスとして"勝ち続ける"ために~

  • 2019年1月8日FM OH! ラジオ番組に出演

(TKO木下さんのラジオ番組にも出演させていただきました。)

このように、今でこそSNSの総フォロワー数29万人超のビジネスインフルエンサーとなり、たくさんの事業を展開している僕ですが、決して順風満帆にここまで来たわけではありません。

子供の頃はとにかく服も買えないくらい貧乏でしたし、大人になっても400万円の借金も背負うなど、つい数年前まで僕はどん底にいました...。

でも諦めずに這い上がり「人生を逃げ切るためのスキル」を突き詰めて行った結果、借金も完済し、フリーランスとして、そして日本最大級のオンラインサロンのオーナーとして活躍できるようになったんです。

そんな僕がこれまで辿ってきた「結果を出すまで」のプロセスは、きっと「僕だけ」じゃなく「あなた」にも当てはまるはず。

この記事を通じて、僕がどんな人生を歩んで来たのかを知ってもらうと同時に、今後あなたがフリーランスとして活躍するためのヒントを得てもらえれば嬉しいです。

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服も買えないくらいとにかく貧乏だった学生時代

僕は1987年4月9日に大阪最凶の危険地帯「東大阪市」で生まれました。

「りゅうけん」っていう名前ってすごく珍しいから「本名なの?」とよく聞かれるんがすが、本名です。僕の名前のモデルは漫画「北斗の拳」の登場人物「リュウケン」から来てます。

(ギリ、キラキラネームだと思います...)

さて、僕が生まれ育った東大阪は例えるならばヨハネスブルグのような街でした。一歩外に出ればカツアゲに合うし、小学生なのに同級生は金髪とか、いろんな髪の色の奴ばかり。彼らの親を一言で表現するなら「ウシジマくんの登場人物」。

タバコも吸えば万引きもする。そんな治安最悪な町だったんですが、擦れることなく、真面目に真っ直ぐに育ちました。

ただ、一つ問題があるとすれば、とにかくうちは貧乏だったということ。

父親の事業失敗で貧乏生活へ転落

幼い頃父親が起業に失敗して多額の借金を背負い、僕は極貧生活を強いられていました。

高校時代はサッカー部に入りますが、練習でウェアが破けても、親に「新しいものを買ってくれ」と言えなかったんです...。

なので、サッカー部の友達が捨てたウェアをゴミ箱から出して着るくらいでした。

高校時代の僕
やべえ、俺マジで貧乏じゃん...。

周りとの違いに絶望を感じましたが、それでも気持ちだけは強く持とうと。

高校時代の僕
なんだよ…俺の人生このまま貧乏まっしぐらで終わってくのかよ…くそ…

そう思いながら高校時代を過ごしていましたね。あの時は本当に辛かった…

祖父の影響で「お金は正義」と考えるように。

「どうにかしないとマジでやばい…」と絶望に打ちのめされていた時に手を差し伸べてくれたのが、経営者である祖父でした。

貧乏生活が続いた高校時代、祖父は山本家がピンチの時に何度もお金を援助し助けてくれていたんです。その後の僕の大学進学にかかる費用までも援助してくれていました。本当に、祖父の財力が無ければ今の自分はないなと…

援助を受けるたびに、

じいちゃん…マジでありがとう…!

そう思っていました。

祖父は崖っぷちの山本家を何度も救ってくれた救世主。そのおかげか、小柄でひょろっとしていた祖父が、当時は誰よりも大きく見えていました。

そして僕は祖父を見て「資本主義社会において、金は正義だ」ということに気づいたんです。

高校時代の僕
俺もじいちゃんみたいに金持ちの経営者に絶対になってやる!
もうこんな貧乏な生活は二度としない!

と強い志を持ち、僕は経営者になることを心に誓いました。

ただがむしゃらに走り続けた大学時代

その後は1年の浪人生活を経て神戸大学経営学部経営学科に入学し、学生活動に参加したり、ビジネスケースコンペティションに参加したりの毎日。

(大学時代の僕です。学生活動に精力的でした)

就職活動の時期になると、友人はみんな行きたい会社もやりたいことも明確だったにもかかわらず、僕は経営者になることしか頭にありませんでした。なので友人に「経営者になって何がしたいん?」と言われることもありました。

なんや...経営者になりたいって思うだけじゃアカンのかな...。

と思いつつも、具体的に何をすれば良いのかもよく分かってなかった僕は、とりあえずで牛丼屋のアルバイトをやります。ただ、僕は興味のない事は全く覚えられない性格だったので、バイト先では皿の片付け方とか、超簡単なルーティーンワーク的なことも全然覚えられず、すぐにクビになりました...。

やりたいことも見つかっていない上に、バイトもクビになる無力な大学生である自分。

くそ…なんで俺ってこんなに何もできんのやろ...

後に自分の人生を変えた「プログラミング」との出会い

バイトや学生活動で無理をしまくった僕は、ストレスや疲労によって十二指腸潰瘍を患い、入院してしまいました。頑張ってきたのに全然報われない自分に相当腹が立っていたのです。

「あぁ…俺って、社会不適合者なのかな…」と。

とはいえ落ち込んでいる暇もなかったので、母親に本をたくさん買ってきてもらいずっと学び続けました。

「まだまだ諦めてねぇからな…!」という一心で本を読み漁る日々。経営や起業に関する本をひたすら読み、経営者を目指す上で必要な考え方を吸収しようと必死でしたね。

そして本を読んでいく中で、今後起業する上で大切なのは「手に職をつけていくこと」ということが判明しました。

仕事の価値は需要と供給で決まる。もしも自分に世の中から需要のある「スキル」が備わっていれば、もしかしたらお金にも困ることがないくらいの仕事ができるんじゃないかと。

そこで、今求められているスキルは何なのか調べた時に出てきたのが「IT化」というワードだったんですね。当時はIT化が進む真っ只中で、企業がどんどん業務効率化したりオンライン化したりしていました。

それに合わせて、当時でも人手不足と言われていた「ITエンジニアの」需要が、今後もさらに増えていくということが導き出されたんです。

これや...これしかない...!

プログラミングの能力を身につければ、一生食うに困らない仕事ができる。」そう信じでまずは「手に職」をつけるべくエンジニアを目指すことにしました。

よし、とにかくプログラミングを頑張って、大企業に入って金を貯めて起業する!

正直、その時の僕には勝ち筋がはっきりと見えていました。

就活ではビジネスケースコンペティションの優勝実績を引っ提げて就職氷河期の中でも無双し、めでたく大手IT企業にエンジニアとして就職。

「よっしゃ!貧乏だった俺もこれで上流階級の仲間入りか」とか思っていましたが...それは大きな勘違いでした。

大企業に就職も手取り17万円で週4飲み会の日々...。

新卒で大手IT企業に入社した僕ですが、早速就職して色々と衝撃を受けることに。

給料は絶望的に低かったかし、上司のパワハラもすごかった。新卒の給料は手取りで17万4千円、週に4回以上は飲み会。家賃と食費だけでほぼギリギリの状態で、少しも遊べないしまともな貯金も一切できませんでした。

「え、嘘やろ…こんなんマジで金が貯まらんやん…」と。

それから先も、どんなに残業しようが成果を出そうが給料が上がることはなく、10年先輩の給料が年収700万円台だったことを知り「え、ここで10年頑張っても全然給料増えんやん...」と絶望したことを今でも覚えています。

正直もうサラリーマンやってても金なんか貯まらないし、経営者になんてなれない…そう思っていました。自分の理想の未来は今の自分の延長線上にはないんだなって。

ネットワークビジネスで人生の機微を知る。

他にもっと稼げる方法が無いかを模索していその頃、僕が超尊敬する大学時代の先輩に呼び出されました。

「りゅうけん、ちょっとお茶しようよ。」

あれはたしか、渋谷の道玄坂にあるカフェ。そこで先輩に今の自分の給与の話をすると「会社員の給与には限界がある。生涯年収なんてたかが知れてる」とバッサリ。

そして、その代案として伝えられたのが「ネットワークビジネス」でした。

「うわ…ネットワークビジネスかよ…どうしよう…」

という気持ちもありましたが、その先輩は某大手証券会社のトップセールスで、僕も彼のことをスーパーリスペクトしてたんです。その権威性もあり「この人が言うなら間違いない」と、とにかく盲目的にやりましたね。このままサラリーマンをやってるだけだと一向にお金も貯まらないし「何もしないよりはマシか」と。

そんなこんなで僕はネットワークビジネスに手を出し、とにかく必死に、どんなに断られようが持ち前のメンタルの強さでへこたれず乗り越えてきました。

すると結果はすぐに出て...ネットワークビジネスだけで「サラリーマンの手取りを軽く超える30万円」を稼げるように。

「これはいける!天職見つけたわ!」と思っていました。

そして、その頃今の奥さんとの結婚も決まり、貧乏からも脱却。そしてネットワークビジネスにフルコミットしてやった結果、数ヶ月後人事部にバレて呼び出しをくらうことに。

「副業続けるか、本業続けるかどっちにするんだ?」と問われました。本来副業禁止という就業規則に法的強制力はありませんが、どうせ辞めようと思っていた会社だし決断は早い方が良いということで、退社(という名の実質クビ)を決断。

しかしこの後、人生最大の転落を迎えることになります…

積み上げた借金は400万円。人生最大の絶望を味わうことに。

ネットワークビジネスが順調だったのは最初だけでした。

売上を伸ばすために大量の商品を買い込み、有料セミナーへ参加し、利益率の悪い商材の販売を強引に勧誘していたのですが、これを繰り返すための出費や労力が半端じゃなかったんです。しかも、目標達成できなかったら上から詰められるし。

この時死ぬほど大変だったんですが、売上は300万円程度でした。

あんなに苦労したのに年間300万かよ…めちゃくちゃキツい…

そしてその間、沢山の人に迷惑をかけ、売り上げを得るために出費がかさみ、とうとう400万円の借金を抱えてしまいました。

お金増えるどころか借金背負ってるやん…
しかも400万…嘘やろ…これはもう終わったわ…

本当にその通り、今回ばかりはもう終わった…とマジで思いました。

僕がこうして今活躍できているのは「妻」の存在があったから。

ネットワークビジネスで積み上げた借金に加えて奨学金の返済もあったので、合わせると800万円近く返さなければならなくなりました。

僕はさすがにこれは無理だろと思ってました。しかし、こんな状況でも僕は立ち直ってしまいます。

僕の力ではありません。復活のきっかけを与えてくれたのは妻です。妻は絶望に打ちひしがれ、人生最大級に落ち込む僕に明るく声をかけてくれました。

あれはたしかデートで行った横浜のみなとみらいにて。僕がデート中にも関わらず、下ばかり向いてた時に、妻は僕にこう言ってくれました。

あんた何下向いとんねん!まだ終わりじゃないで!
私がついてるから一緒に頑張ろう!
ほら、あの観覧車乗るで!

妻の言葉が、何よりも心強かった…そして、涙が滲み出るのを隠せなかった。

「嘘だろ…こんなにどん底の俺に…本当にありがとう…俺は妻に一生ついていく」

心からそう思えた瞬間でした。妻のおかげでここから振り出しに戻ってやり直すことにし、僕はネットワークビジネスから手を引き、借金を抱えた状態でありながらも再スタートを切ります。

最初は大企業で培ったプログラミングスキルを活かし、派遣エンジニアとしてスキルを積みました。

約2年間、コツコツ現場で実務経験をこなして実績を積み重ね、月の手取りは23万円程に。

「よし…いい感じになってきたな…でもまだまだ足りない!もっと上を目指さなければ!」

そう、安定はしてきたんですが、借金はまだまだ返済に至っていませんでした。

もっと収入を増やしたいと思い、さらに稼げる方法を探っていたのですが、ここでまた自分の常識を覆す大きなきっかけが訪れたんです…!

フリーランスエンジニアになり、月収が60万円を超えるように。

どうやって収入を増やしていこうかと考えていた頃、とあるエンジニア仲間がフリーランスに転身し、渋谷のボロアパートからタワーマンションの高層階に引っ越したことを知りました。

「えっ?あいつが?なんで!?」

彼は僕とそんなにスキルも変わりませんでした。にも関わらず、僕と彼とで収入に大きな差が生じたんです。「え、フリーランスになったらそんなに収入が上がるんや...」と衝撃を受けたんですね。

大手IT企業を経て派遣エンジニアとしてスキルを積んでいた僕は、すかさずフリーランスエンジニア専門のエージェントに相談することにします。そして面談の際に自分のスキルを提示したところ、「単価50万円〜70万円前後の案件」も全然いけると回答をもらいました。

「えっマジ?そんなにもらえんの!?」今まで見たことのない単価だったのでマジでビックリしました。

そう、この時自分の市場価値というものを始めて知り「これなら絶対いける…」と思ったわけです。

これをきっかけに、僕はフリーランスに転身。フリーランスエンジニアとしての活動をスタートさせることになりました。

そしてフリーランスになった僕は、いきなり月単価62万円の案件をもらえるようになりました。

「君のスキルなら、月60万円くらいの案件を紹介できるよ」と言われ、一気に会社員時代の2倍〜3倍ほどの月収になったんです。年収は700万を軽く超えるように。

この時はとにかく驚くことばかりで「スキルを磨いて専門性を高めれば高い収入を得ることも可能なんだ」ということを身を持って体感した瞬間でもありましたね。

「自分の経験を発信してお金を稼ごう」と思いエンジニアブログをスタート

そしてここで僕は、更なるアイデアを思いつきます。

僕がフリーランスになって収入を上げられた経験を、ブログで情報発信してみよう。

エンジニア界隈ではある意味安月給が当たり前な文化があったんですよね。だから当時は「フリーランスになったら生活が変わる」っていう情報もあまり知られてなかったし、発信している人もいませんでした。

「この情報をエンジニア達に向けて発信していけば絶対に役に立つ!」そう思い、僕はブログで「エンジニアとしての生き方、稼ぎ方」みたいなことを発信していこうと決心。

そしてそうと決まれば、ブログをガチでやって収益化させようと思い、ブログのオンラインサロンへと入会しました。

この「ブログを始めたこと」と「オンラインサロンとの出会い」が、さらに大きく僕の人生を変えていくことになります。

オンラインサロンに入ってみると、そこに稼ぐためのヒントが至る所に散らばっている、いわゆる宝の山でした。やればやるだけ自分の力になるし、元手はたったの4980円。「こんなに有益な情報溢れてんのに安すぎやろ…」と。

味をしめてからは「これはもうやるしかない」と思って全力を注ぎ、毎日ブログ記事を更新をしていました。

僕がフリーランスエンジニアになった経緯や、それによって収入がどう変化していったのか。今まで発信されていなかった「エンジニアとしての生き方」を発信する日々。

(ブログの記事作成のために、プログラミングスクールに取材とかも行ってました。)

僕が当時から意識していたのは「すでにその分野で成功している人を徹底的に真似する」ということ。僕は既に結果出してる人から言われたことを、一切の私情を挟まず素直に実行してきました。「記事はこういう内容を書いたほうが良い」とか「ブログの配置はこうしたほうが良い」とか。

すると、僕の発信内容が徐々に共感を呼び反響も大きくなっていったんです。

その後、ブログの収入は半年で月収40万円を達成し、その後も収入は右肩上がりになりました。

エンジニアの収入と併せて月収は100万円を超え、あっという間に借金を完済

通帳では見たこともない数字が刻まれる。それを見ながら、十分な手応えを感じました。

僕が切り拓いてきたエンジニアとしての生き方を、多くの人にブログという形で提供することがこんなに役立つとは思わなかった…

貧乏に転落し、バイトをクビになったり、仕事ができない無力さを感じながらも何とかもがき続けてきた結果。

とうとう自分の生きる道を見つけて、大逆転させた瞬間だったんです!

スキルを習得して人生を逃げ切るためのオンラインサロンを立ち上げることに。

「スキルを身につけてフリーランスになれば、人生をもっと楽に生きられる」

ということに気づいた僕は、その後もどんどん自分の価値観をブログやSNSでの発信活動を続けていきました。その結果、Twitterのフォロワーもかなり増えてIT業界では一気に知名度が高くなり、周りからどんどん評価を受けるようになったんです。

さらに、フォロワーからは「もっとりゅうけんさんから有益な情報やノウハウを知りたい」「何かサロンとかやらないんですか?」と要望をもらうようになっていきます。

反響も大きくなってきたし、もっと情報共有できる場を増やしていきたいな。

自分の経験がみんなの役に立つならもっとみんなに発信していきたい。

僕は過去に大きな挫折を味わいつつも、プログラミングスキルという『現代版打ち出の小槌』を習得したことで人生を逆転できました。

おそらく「スキルを手にすれば人生をもっと楽に生きられる」という事実を僕自身もっと早く知っておけば、無駄な失敗も極力減らせたのになと、今振り返れば思います。

「だから僕以外の人には、同じ失敗をしないで欲しい。」

「僕が手に職となるスキルを得て味わった成功体験を、もっといろんな人に広めたい。」

こうした想いで、僕は「人生逃げ切りサロン」というオンラインサロンを始めることにしたのです。

意識高い目標にコミットするのではなく、生きていくために必要なスキルを身につけて「合理的に人生を逃げ切る」というサロンのコンセプトが見事に刺さり、その後人生逃げ切りサロンはどんどんと会員数が増えていきました。

気づいたらコミュニティは活性化し、メンバーは1,000人、2,000人…4,000人と増え続けるように。

運営を続けている中で、参加メンバーからは続々と成功報告や感謝のメッセージをもらえるようになりました。メンバー同士でつながり、今度はそのコミュニティの中で情報を交換し合いながらお互いを高め合ってたんです。

人生逃げ切りサロンは、ただただ「人生を逃げ切りたい」という、意識の低い目標に向かってゆるく生きていきたい人を対象にしてましたが、似た価値観を持つメンバー達が集うことで、同じモチベーションを持つ仲間同士で成功や成長をつかみ取れるサロンへと拡大していったのです。

発信とは「自分が出会いたい人に自分を見つけてもらう行為」です。自分と近い価値観を持っているけど、自分とは全く違う体験をしてきていて、多くの気づきを与えてくれるような存在。そんな人達と出会えるチャンスが情報発信やオンラインサロンにはあるのではないかと。

僕はSNSではキャラクターを尖らせ、歯に衣きせぬ発言をします。それによって、自分の価値観を強く発信することができ、多くの反発はくらうものの、一部でとてつもなく高い共感を獲得できます。彼らと一緒にビジネスをやるとびっくりするくらいうまくいきます。なぜなら、出会う前から僕のことをよく理解してくれているから。

こうして僕は、人生を大逆転させました。

さいごに:今は誰でも「人生を逃げ切れる」時代。

以上。ここまでを振り返ってみると、僕が人生を逆転させるきっかけとなったのは「世の中から求められるスキルを習得したこと」「それを発信してきたこと」の2つでした。

学生時代貧乏で何をやってもダメだった僕でも結果を出せたのは、とにかく行動を重ねてきたことに他なりません。

苦しい時も辛い時も諦めず、スキルを磨くために努力を重ね、結果を出している人に会いにいって方法を知り、少しずつ成果を積み上げてきました。

しかし、今ならあなたは僕よりももっと楽に、そして効率的にスキルを習得して人生を逃げ切れると信じています。

幸い、今や人生を逃げ切るための選択肢は昔より格段に増えました。プログラミング、Webデザイン、動画編集、SNSなど。もはや、どこからでも人生を逃げ切れる時代です。

しかし、選択肢が多い今だからこそ、みなさんには「間違った選択」をして欲しくありません。そのために、僕はこうしてオンラインサロンを立ち上げ、発信活動を続けてるんです。

そして僕の運営する「人生逃げ切りサロン」では、あなたがすぐにでも「手に職」をつけられるよう、各スキルが学べるオンライン講座を一部無料開放し、いつでも、どこからでもスキルを身につけてもらえる環境を準備しています。

また、結果を出している人とのオンラインライブを無料配信や、オフ会などのイベントも多数実施しています。

(毎回たくさんの参加で盛り上がるサロンメンバーとのオフ会の様子)

これらのコンテンツは全て、僕が今までの人生の中で積み重ねてきて良かったと思えることを形にし、あなたにもそうあってもらいたい!という想いで実施している内容です。

今まで僕の人生で経験した良いことも悪いことも、皆さんにとって役に立つ情報は伝えていく。それが今の僕の仕事です。

僕の人生において「人との出会い」はとても大切なものでした。各人生のフェーズでいろんな人に出会えたからこそ、多くのことを学び成長をさせたもらえたんです。人との繋がりや人から得られる学びは本当に貴重ですし、成長を加速させるための起爆剤です。

「人生逃げ切りサロン」という"出会いの場所"を通して、あなたがこれから人生を変えるきっかけを作れたら良いなと思っています。

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