
僕はミニマリスト界においてはかなり上級者である自負があります。ただし、理解の浅い人からすると、そうは見えないかもしれません。
都心の賃貸マンションに住んでるし、回らない寿司とか食べるし、オシャレな服を買ったりもします。ぱっと見、浪費家に見えないこともありません。
それでも、僕はミニマリズムの最も根本的な部分を押さえているので、ただ持ち物を減らして満足してるような並のミニマリストとは比較にならないほどミニマリストなんですよね。理由は以下。
ただの節約マニアなミニマリストはダサい
僕はミニマリズムを「集中すべきことのために無駄を削ぎ落とす哲学」と考えています。「持ち物を減らす」という行為も思考の整理法としては優秀なんですが、ただ持ち物を減らすこと自体が目的となり、何の哲学も生き方もそこに現れてこないミニマリストがなんと多いことか。そんなのただの節約マニアと変わりません。うちのオカンと同レベ。
もちろん、本人なりの節約術をブログなどで発信して、それが誰かの生活の役に立つのなら素晴らしいことですが、わざわざミニマリスト名乗るんならもっと他に断捨離すべきところがあるでしょーよと思う。
人生における最も大きな無駄は「人間関係」
やるべきことに集中するために無駄を削ぎ落とす哲学がミニマリズムとすれば、最も無駄を省けるのは、「お金」ではなくて「人間関係」だと思う。
— やまもとりゅうけん (@ryukke) 2016年12月5日
そう、生きていく上で最も無駄が多いのは人間関係なんですよね。
どうでもいい上司との飲み会や、どうでもいい友達のサプライズパーティーに参加することが人生最大の無駄です。
僕はサラリーマンの頃、この手のイベントが少なくとも週に1回以上ありました。1回あたり3時間くらいは時間を奪われるので、月間3×4=12時間のロス。さらに、年間12×12=144時間のロスです。で、144時間もあれば今の僕なら100万円以上は堅く稼げるので、年間100万円をドブに捨ててたに等しい。これを無駄と言わずして何が無駄か。
ミニマリストなんだったら、節約マニアになる前に、その無駄な人間関係を断捨離しないのはおかしいでしょ。
僕はFacebookに登場する過去の友達は片っ端からタイムライン非表示にしてます。だって、どこにでもいそうな彼らの価値観に触れても今の僕に何のメリットもないですからね。彼らどうせ友達の結婚式に参加した写真くらいしかあげないし。僕は、自分が「今」得たい情報を持っている人の投稿しかタイムラインに表示させないし、リアルでも会おうとしません。
これができるから僕はミニマリストなんですよ。僕のミニマリズムには、「最低限の人間関係で人生を完結するための美学」がそこにありますが、ただ持ち物を捨てて喜んでるだけのミニマリストは果たしてどうでしょうか。
お金を使うこともミニマリズム
ミニマリスト界隈では、「お金を使わない=偉い」みたいな風潮あるじゃないですか。だけど、僕はミニマリストであれば、お金を節約するより思考を節約する方がカッコ良いと思うんですよね。例えば、高価な商品やサービスであったとしても、絶対的にそれが良いと思えるのであれば、「それさえ選んどきゃ間違いない」状態になるわけじゃないですか。そうすると、購買行動において「どれにしようか」と無駄に思考のリソースを割かなくてよくなります。
商品やサービスに絶対的な信頼をおけると、幸せな思考停止ができるんですよ。
僕は仕事が好きなので、ブログ記事制作などの生産活動以外のことは一切考えたくありません。そのため、服や日用品の購入から食事まで全部嫁に任せてます。僕は彼女に出されたものをありのまま受け入れるだけ。
嫁が選んだものが僕の感覚からすると高価すぎる場合もありますが、それを信じた嫁を信じてるからそれでいいのです。
その結果、時間を効率的に生産活動に充てられるようになりました。生活における時間的コストを限りなくゼロに近づけられるわけですからね。
お金をうまく使うということもミニマリズムの一つなんですが、多くのミニマリストはこのことに気づいていないので、僕のことを「ただの浪費家だ」と見下すことでしょう。
僕からすると、商品やサービスを選ぶ度に、どれが安いか高いかであーだこーだ考えるなんて、贅沢な時間の使い方するよなあと思ってしまいます。イケダハヤトさんっぽく言うと、「あなたが服や食べ物を選んでる間になんなら記事の一本でも書けますよ。」的な。
さいごに:ミニマリズムは過去を振り返らない美学
僕は、ミニマリズムが「過去を振り返らない生き方」を体現するものであるからこそ、そこに美しさが現れると思うんですよね。皆、生きてると自然と価値観って変わっていくじゃないですか。昔は大切にしていたものも、気づけば全く興味が湧かなくなっていたり、その時その時で重視するものが変わっていきますよね。
だけど、多くの人はそんな自分の価値観の変化を認められないんですよ。認められないから、タンスにしまったまま何年も見ていない昔お気に入りだったトレンチコートを捨てられないし、高校卒業後一度も会ってない「元親友」の連絡先を消せないわけです。
「接触回数が減った」ということは、それは今の自分にとって無縁であることの証左です。自分の価値観を変化を受け入れ、次に自分が手にするべきもののために、過去を清算していく生き方こそが美しいミニマリズムではないでしょうか。
「ミニマリスト」という名の、「実質ただの節約マニアは」一度考えてみてほしい。